従業員の転職 ー退職前に会社として気を付けておくことと退職後の会社としての対応ー
お知らせ弁護士堀内のブログ2025.0211
転職はよくあること
終身雇用が激減してきた昨今、転職はよくあることです。先日高校時代の同級生に会う機会があったの ですが、高校のクラスメート(40人ぐらい)で、大学を卒業した後に転職を経験していない者が1人も いなかったとのことでした。 私は現在51歳ですが、私の世代でさえそういう状況ですから、転職によってキャリアアップを考えて いる最近の若い方にしてみれば、転職は当然となっているように思います。
転職する前に会社として気を付けること
よく顧問先様などから、「従業員が急に転職すると言ってきた。急に言われても困る。なんとか転職を 避ける方法はないか」とか、「従業員が転職する際に気を付けることはあるか」といったご質問を受ける ことがあります。 会社としてはこういうことにどう対応したらよいのでしょうか。
1 転職を避ける方法はない
まず指摘しておきたいことは、「転職を避ける方法はない」ということです。 従業員にはどこで働くかを決める自由があるので、たとえ会社の都合といってもその自由を制限する ことはできないからです。 せいぜい、退職前2週間までに従業員が退職を通知しなければならないという民法627条によって 退職時期を制限できる程度です。この点、就業規則に特別な規定(1か月前までに退職届を提出しなけ ればならない、など)があっても関係なく、民法627条にしたがい、2週間前までに退職届を提出す れば足ります。
2 従業員の転職時に会社が最低限しておくこと
まず前提として重要なのは、「従業員が会社を退職した後は、会社は従業員に対して業務命令を出せ ない」ということです。 例えば、会社が退職する従業員に対して「退職後の●月●日に必ず会社へ来てください」と伝えたと しても、退職する従業員はそれに応じる必要はありません。 従業員の転職時に会社が最低限しておくことというのは、逆に言えば、「会社を退職してからでは遅 い、となるようなことをあらかじめ行っておくべきこと」ということになります。 では具体的にどういうことがあるでしょうか。 まず、貸与品や保険証を回収することです。持ち去られてしまったら退職後に返却してもらえない、 ということが起きるおそれがあるからです。 次に、出納の精算です。従業員に貸付がある場合や未払給与がある場合の処理をどうするかを、会 社と従業員との間で協議しておく必要があります。 あとは業務の引き継ぎです。会社は退職する従業員に対して引き継ぎを行うことを求めることがで きます。退職する従業員がこの求めに十分に応じなかった時には、退職金の減額などが行うことがで きるケースがあります(福岡地方裁判所令和元年9月10日判決)。
3 退職前に従業員が得た名刺の処分
たまに会社から、「退職前に従業員が取引先でもらった名刺を会社に置いていくように命じることは できますか」と聞かれることがあります。 基本的には無理だと思って頂いたらいいかと思います。なぜなら、取引先でもらった名刺はあくまで も従業員の所有物ですので、その処分権は従業員にゆだねられているのが原則だからです。
転職後の従業員の行為によるトラブル
会社から、(1) 「従業員が退職後に会社を立ち上げた。その会社はうちの会社と同じ事業を行って いて、うちの取引先に営業をかけているらしい。このような営業をやめさせることはできるか」とか、 (2)「従業員が転職後にどうもうちの会社のノウハウを使って商品を開発して製造・販売を始めたみ たいだ。こんな製造・販売をやめさせることはできるか」といった問い合わせを頂くことがあります。 このようなことは転職すればよくあることで、会社としてはこのようなことについてどう対応すれ ばいいのでしょうか。
(1)のケースについて
そもそも退職した従業員が、退職前の会社と同じ事業を行うことができるのでしょうか。 この「従業員が会社と同じ事業をしてはならない」ことを「競業避止義務」といいます。 競業、つまり会社と競り合いになる業務を避けないといけない義務が従業員にはある、ということ です。 従業員が会社に勤めているならば、会社と競り合いになる業務をしたら会社にとって損害が発生し かねないので、競業避止義務があるのは当然といえば当然です。問題は、従業員が退職した後にも競 業避止義務があるのか、ということです。 先程も申したように、従業員にはどこで働くかを決める自由があるし、また退職後には業務命令が 効きません。さらに言えば、およそ会社員というのはある程度働ける分野が決まってくるので、「退 職したら退職前の仕事をしてはいけない」というのは転職者に酷というのがあります。 したがって、裁判例の傾向として、次の3つが揃っている場合に限り退職後の競業避止義務を認め ます。 まずは、①退職前の会社の就業規則に「退職後も競業をしてはならない」と定められていること です。 次に、②退職に際して、退職者が「退職後に競業しません」という念書を書いていることです。 最後に、③競業をさせないかわりに退職金を割り増しで支払っていることです。 他にも、「競業してはならない期間が必要以上に長くないこと」とかいった条件もあるのですが、 通常は③をクリアしてないために退職後の競業避止義務が認められないことが多いです。ですので、 私は顧問先様から「どうやったら競業を避けることができるか」と聞かれたときには、「競業を避け るのは難しいので、むしろ競業しそうな取引先との信頼関係を厚くして、競業しても取引を継続し てもらえるようにする方がいいと思います」と答えています。
(2)のケースについて
会社のノウハウが外部に漏れた可能性がありますね。 元従業員が営業秘密を利用して新たな商品を開発することは「不正競争行為」という行為に該当 して、不正競争防止法に違反し、損害賠償請求・差止めなどを請求することができる可能性があり ます。 ここで問題になるのは「営業秘密」とは何か、なんですが、法律上は、①秘密に管理されている こと、②情報として有用であること、③一般に知られていない情報であること、をみたす必要があ ります。 情報として有用でないとか、一般に知られている情報であるとかならば、そもそも紛争にならな いので、②や③を満たさないことはあんまりなく、通常は①が問題になります。 例えば、会社の誰もが知っているとか、会社の誰もがアクセスできるサーバに保存されているデ ータとかは、秘密に管理されているとはいえず、①に該当しないことが多いです。 ①に該当するかどうかはいろいろなファクターがあります。例えば、中小企業と大企業では異 なります。あるセクションに所属する従業員しかアクセスできない情報だとすると、中小企業なら 「秘密に管理している」となる場合もありますが、大企業だとちょっと難しい。なぜなら、中小企 業の場合、セクションに所属する従業員が2人とか3人とかしかおらず、滅多に知られることない 情報であることもあるのに対して、大企業の場合だと、セクションも大人数だし、中には平社員も 当然にいるわけですので、なかなか「秘密に管理している」とまではいえないケースが多いからで す。 また、どのような情報かもファクターになります。取引先からの発注商品の種類・単価・数量の データは、それだけで取引先からの受注傾向が把握できるので「秘密に管理している」といえやす いですが、取引先の担当者の名刺データは、取引相手なら誰でももらえるはずのデータですので、 「秘密に管理している」といえにくいです。 あと、社内のどのぐらいの地位の者しかアクセスできない情報か、というのも重要なファクター です。 一般的には、中小企業だと部長以上、大企業だと課長以上がひとつのメルクマールです。なぜな ら、これらの方だと決裁権を持っているだろうと思われるので、そういった決裁権を持っている者 しか知らないのであれば、「秘密に管理している」といいやすいからです。
最後に
終身雇用が崩壊しているので、従業員の転職は避けられません。「まさかあの人が辞めるとは」と いう従業員が転職することもあるでしょう。 そういうときに会社をどう守るのかを常に念頭にいれておく必要があると思います。先程の取引先 の発注商品の種類・単価・数量のデータが退職者に利用されると、取引先とすれば「なぜそんな大事 な情報が外部に漏れるんだ!」と考えるのも無理もなく、自社の情報管理体制が不十分というコンプ ライアンス上の問題があると言わざるを得ません。 1つの会社で全ての工程をこなすのではなく、複数の会社でシナジーを発生させて1つのミッショ ンをこなすことが通常になっている現在においては、自社がコンプライアンスを遵守していることは、 自社の持続可能性に大きく影響を与えます。 転職者が退職する前に何をすればいいか、というより、常日頃から「情報管理」という社内のコン プライアンス体制をどう構築すればいいのか、という問題であることを強く意識していただきたいと 思います。